【安楽死と尊厳死】(やなぎ社会福祉士事務所)

【安楽死と尊厳死】(日本人に欠けている死生観)
安楽死が積極的な生命の終焉を意味するのに対して尊厳死は不必要な延命治療を行わずに自然な死を迎えることを指します。

例えば末期がん患者に対して致死量の薬物を投与することは安楽死に該当しますが、人工呼吸器を外すことを選択するのは尊厳死に分類されます。この違いは、医療現場での判断や法的な取り扱いに大きな影響を与えています。

自己決定権と安楽死は個人の生命に関する決定権は基本的人権の一つとされていますが、その権利をどこまで認めるべきかについては、深い議論が続いています。

とくに重度の疾患や障害を抱える患者が自らの意思で人生の終わりを選択する権利を持つべきかという問題は、患者の自己決定権と医療従事者の倫理的責任そして社会全体の価値観との調和が求められます。

この問題を考える上で一番大切なことは安楽死が単なる死の選択ではなくその人らしい人生の締めくくり方を決める権利として捉えることです。しかしこの選択が他者や社会に与える影響も慎重に考慮する必要があります。

日本で安楽死が認められていない主な理由は、生命の尊厳に対する伝統的な価値観と、医療倫理の観点からの慎重な姿勢にあります。日本では「いのち」を絶対的な価値として捉える傾向が強く、それは仏教的な輪廻転生の考えや儒教的な孝行の精神とも深く結びついています。

生命を人為的に終わらせることへの深い戸惑いや抵抗感を感じることが多々あるのもそのためです。

法的側面から見ると現在の日本では安楽死は刑法第199条の殺人罪、または第202条の自殺幇助罪に該当する可能性があります。厚生労働省も、生命維持に関する治療の中止については一定の条件下で認めているものの、積極的な安楽死については明確な反対の立場を示しています。最期を迎える場所や方法について、故人の意思と現実の制度との間に大きな隔たりがあるのです。

最近ではエンディングノートの普及により、より詳細な事前指示を残す方が増えてきています。これらのノートには、医療に関する希望だけでなく財産の処分や葬儀の方法、さらには遺品の整理方法に至るまで具体的な指示が記されていることが多くなっています。

このような状況を踏まえると、これからの意思決定プロセスでは早い段階からの対話と記録の重要性がさらに増していくと考えられます。故人の最期の選択を尊重しながら、残された方々の心の整理もサポートしていくことだと考えています。このように、安楽死の問題は、個人の選択の自由と尊厳の保護という利点がある一方で、社会的、経済的、心理的な側面で多くの課題を抱えています。

社会福祉士として、これらの複雑な要素が絡み合う現実を目の当たりにする中で、より慎重かつ包括的な議論の必要性を感じています。そして、どのような選択をされた方に対しても、その決断を深く理解し、尊重する姿勢が重要だと考えています。

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